世はとっくに21世紀。2021年である。
車は空を飛んでないけど、みんな何でもできる個人用小型液晶端末(スマホ)持ってるし、じゅーぶん21世紀してるよね(現実は伊藤計劃のディストピアなSFの世界に近いけども)。
カメラ業界は息も絶え絶えで、世間一般には完全にスマホと比較される始末。
私と同世代(30代前半)で一眼レフを持ち歩いてる人、両手で数えられるほどしか会ったことないのだけど、彼ら彼女らは今もまだ一眼レフを持ち歩いているのだろうか。まぁ、持っていても使ってないのではないかな。ほっとくとレンズにカビ生えるよ?
今回は、30代前半の時代感覚におけるカメラのお話ですよ。
なんで我々は一眼レフ(コンパクトデジカメ含め)を使わないのか?という話。
30代前半による、一眼レフ愛炸裂記事、なかなか見かけないよね。
ここで、「だってスマホがーッ」と話を始めても生産性がない。どっちにしても生産性は、ないんだけどね。
ただ、本当にスマホが直接的な原因なのか、私にはちょっと疑問なのです。
思い出してください、30代前半のあなた。(いきなりなんだよ)
初めて自分のカメラを持ったのっていつですかね。どんなカメラでした?
私にはわかる。ほとんどの人は「写ルンです」でしょ。これ、近い未来、通じなくなる商標名ですよ。VHS的なアレだから。
修学旅行で学校から配られて、各班で撮影したよね。
でさでさ、ケータイ何使ってた?
私はN503i使ってた。ドコモのね、ちょっと高いやつ。お母さんに買ってもらった。
折りたたみで、アンテナ伸びるじゃん。赤外線通信機能付き。電池パックの蓋の裏にプリクラ貼ってた。もはや我々の青春は死語とロストテクノロジーの塊。
さて、このケータイのカメラ、32万画素なんですね。これぞカメラ付きケータイ。カメラはあくまで嬉しいオマケ。でも小さい画面で楽しむには十分だったんだよね。写メできるし。
32万画素というと、一般的な写真サイズに引き伸ばすことも不可能なレベルなので当時セブンティーンの我々にとって、「写ルンです」はまだ一定の価値があったわけだ。
一方でこの頃、コンパクトデジカメも手頃な価格で一定の性能になり始めたよね。
私が大学に進学した2007年に購入したのが、パナソニックのLUMIX DMC-LX2。
コンパクトとしてはハイエンドモデルに近い仕様で1020万画素。6万くらいしたと思う。
それでもこの頃のコンパクトデジカメって、やっぱりなんというか、微妙な仕上がりだったんだよね。
画素数増やせばいいんでしょみたいな空気、あったと思う。
シャッタースピードはともかく、絞り優先機能はなんともコメントし難いカンジ。
まぁ便利だし、実用十分。ズームができて、たくさん撮れる写ルンです、みたいな。
結局、コンパクトデジカメの使い方はおまかせモードかせいぜいプログラムオートで、シャッターボタン押すだけだよね。
で、この2007年。iPhoneが発売された年ですよ。200万画素のカメラ搭載。
画面がすぐ割れるやつ。みんなも一度は割れたでしょ?人によっては内部のメカ部分まで見えてターミネーターみたいになってたよね。
カメラはまだまだオマケ性能。でも比較対象は折りたたみケータイだからね。やっぱりスゲーってなった。実はきれいな液晶画面に騙されてたような気もするけど。
この頃の私界隈(知り合いのスタジオカメラマンとか、少ない写真仲間)では、まだiPhoneなんて歯牙にもかけない存在でした。
「もうフィルムで撮ってもプリントはデジタルだからなぁ」とか「仕事ではもうデジタルしか使わないけど、コンテストとか出すときはフィルムでラボに出してるよ」とか、のんきにフィルム&デジタル談義してましたよ。
そして、この2007年から数年間は、記録媒体の進化が凄まじかった。
大学1年生の時に授業で使うUSB、256MBが3000円、512MBが5000円みたいな価格設定だったと記憶してるのだけど、それが2年後には2GBのUSBが通信速度早めで5000円だったと思う。
HDDももちろん安くなってて、学生でもコンパクトデジカメでたくさん撮った写真を自分のパソコンで管理する、というのがそこまで難しくなくなってた。
ここで立ち止まって考えてみよう。
我々の年代は、お財布の中身と技術の進歩の狭間で、一眼カメラなんかに手を出さなくても、ポケットに入るサイズの何かで、結構イイカンジの写真(友達とシェアして楽しむレベル)が手軽に撮影できた世代なんだな。
ゆっくりと、プリントしないで写真を楽しむ文化が育まれた世代でもある。
そして、コレ結構重要だと思うのだけど、シャッターボタン押すだけできれいな写真が撮れて当たり前なんだよね。
写るんです、折りたたみケータイ、コンパクトデジカメ、記録媒体の進化。
そこに登場したのがiPhone3GS。
大学3年生のとき、コレで撮った写真を見て、正直思ったんだ。「え、結構きれいじゃん?」と。
一眼レフを使っている人間が「あ、結構いける」と思うということは、普通の人にとっては「十分きれい」なんだよね。
一眼ユーザーからしたらiPhoneなんておもちゃだったのだけど、我々からすれば、カメラは常に微妙なクオリティーでおもちゃのように身近にあって、スマホを受け入れる土壌は完璧に近い形で整っていた。
そもそも一眼レフ渡されても、絞りとかシャッタースピードなんて聞いたこともないんだよね。一眼レフ、使い方がさっぱりわからん世代の誕生です。(まぁ昔からAUTOモードはあったから、絞りやシャッタースピードが常識的知識だったとは思えないけど)
この頃発売されてたデジタル一眼の入門クラス機を持ってた人は、結構苦しかったと思う。カメラマンやらされるしさ、周りはスマホで写真撮って楽しそうにしてるし。なんで私だけ重いカメラ首から下げてるの?みたいな。
デジタル一眼が進歩して、価格がこなれても、スマホのカメラもどんどん良くなって…
一眼レフは確かに思った通りのいい写真が撮れるのだけど、それは知識と技術が伴ってからの話だし、スマホの画面で見たときに、どれだけの差があるよ?というのが今も続く現実。
そんなこんなで、よほどの根性か予算がないと、一眼レフユーザーは淘汰され続けてしまう世代が、ザ・我々だよね。
たしかに、現状を見ればカメラがスマホに取って代わられたように見えるかもしれないけど、私の主観としてはスマホ登場以前の時点で、カメラ専用機の影はほとんどなかったよね。
スマホの前にコンパクトデジカメがあったし、その前は折りたたみケータイがあったし、もっとさかのぼれば写ルンですがあったんだよね。
世代じゃないからわからないけど、写ルンですだって、お高いフィルム一眼レフを駆逐するに一役買った量産型ザクでしょ。
質を犠牲にして汎用性を高めたことが、カメラとの付き合い方を変えて、カメラ付きケータイが写真との関わり方を変えて、コンパクトカメラの普及で培われた技術がスマホにも役立った結果が今であって、カメラ専用機とスマホだけをぶつけるのは、あんまり説得力がないよね、という話。
結局の所、人生の一時でも、それを持たざるを得ない時間を過ごさなければ、それは趣味の域を出ることはできないのだと思う。
カメラはね、割とお金のかかる趣味です。ちゃんちゃん。